めいこままスタイル

自分の当たり前が、相手にとって感動になった日。

先日の東京駅での出来事。

私は娘を抱っこして、東京駅の中を歩きつつ、自宅へ帰る途中だった。

「すみません」と声をかけられた私は、くるりと立ち止まり、年配の女性と目が合う。

聞けば、茨城からのバスに乗って来たという。そう言えば直前に、娘が日本橋口に入ってきたピンク色のバスを見てはしゃいでいたなぁ。

山手線と帰りのバス乗り場を確認したくて私に声をかけたのだとか。

私は毎日東京駅を使う。

使う路線は山手線ではないけど、10年以上も東京にいればさすがにわかる。

ついでに言うと、その女性が帰る際に乗りたいと言っていたバスは、恐らく先日私が仕事で乗った八重洲口から出ている高速バスと同じもの。

一ヶ月ほど前のことを思い出して、悩むこともなく、案内を快諾。

調べる時間も不要だったので、世間話をしてみたり、わかりにくいけど難しくないですよ、なんて言いながら歩く。

しかも私が仕事で行ったことのある地域は、その女性の出身地だったとわかり、一気に距離が近くなる。

あ、偕楽園も行ったことあるよって言えばよかったな。

無事にバス乗り場も案内して去ろうとした時、ちょっと待ってと言って、その女性はお礼に持っていたものをくれた。

いやいやいやいや!と一度は断ったけど、本当に助かったから受け取って欲しいと言われて、ありがたく頂戴した。

·····

さて。

自分の特技や不得意を明らかにして、向き不向きを、仕事やコミュニケーションに生かそうとしがちだったのだけど、その日の出来事から、何とも言えない新しい感覚が芽生えた。

私は、私の中のごくごく当たり前の、毎日の行動に基づく、何の特別感もない知識を披露しただけ。

でも、その女性にとっては、その案内がなかったらきっと不安で不安で、せっかく来た東京なのに穏やかには過ごせなかったかもしれない。

なるほど。

自分のもっているフツーのことを、それを本当に求める人に与えることができたとき、自分も相手も幸せになれる。

対価かどうとか、せっかく教えたのにとか、そんなつまらないことは一切関係なく、お互いを認め合うことができる。

この感覚がないと、せっかくの特技も大きなお世話になり得るし、不得意を自分で素直に認めることもできないのかもしれない。

·····

私は、別れ際に「お気をつけて!」と言って、自分の帰路に戻った。